国昌寺
縁起
戦国期に心巌宗智によって建立され、中興開山と称される大雲文龍は、当地大崎の生まれで、宗智のもとで出家し、諸国参禅のあと越前永平寺に修学、帰郷して二代目住職となりました。文龍は、その名声が朝廷にも伝わり、招かれて紫衣や禅師号を賜ったことなどが知られています。また、能書家としての評判も高く、寺宝に文龍書の「大弁才尊天号」(市指定有形文化財)の軸物があり、墓も残されています。 江戸時代には徳川家光以来、寺領十石の寄進を受けていました。 江戸時代中期に建立された山門(市指定有形文化財)は「開かずの門」として有名で、この門を棺が通ると軽くなる〈龍が食う〉という伝説があり、門は閉じられ「開かずの門」になったと伝えられています。他にも、門の欄間の龍は左甚五郎作(※)と伝えられ、見沼に棲んでいた龍が作物を荒らしたので、日光から帰る途中の左甚五郎に龍を彫ってもらい、釘づけにして門におさめたという伝説もあります。
また、境内には、市指定天然記念物であるセンダンバノボダイジュもあります。この木は、寺院によく植栽されており、葉の形が「センダン」に似て、花は目薬や黄色染料に、種子は数珠に利用されていたようです。
※左甚五郎とは?
江戸初期の彫刻の名匠。日光東照宮の眠猫で有名。左甚五郎作の伝説がある彫刻は、日本全国に多数存在する。幻の大工といわれる。
周辺地図
開館時間 | 拝観時間:特に決められてないが夜間は除く |
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住所 | さいたま市緑区大字大崎2378 |
アクセス | JR「浦和駅」東口、またはJR「東浦和駅」よりバス「さいたま東営業所」行き「総持院」下車徒歩10分 |